- HISTORY -
パテック フィリップを巡る5つの物語
1839年、創業。
ポーランド出身のアントワーヌ・ノベール・ド・パテックがフランソワ・チャペックと共に、ジュネーブを拠点に時計事業を始めたのが1839年5月のこと。その後、天才的な時計技術者であったジャン・アドリアン・フィリップと出会い、1845年にパートナー契約を締結。パテック フィリップ社が誕生する。フィリップはリューズでゼンマイを巻き上げる機構を開発し特許を取得しており、この技術によってパテック フィリップの名を世に広めた。
1851年、ロンドン万博。
最高峰のテクノロジーが集結する万国博覧会は、時計メーカーにとっても重要なプレゼンテーションの場。パテック フィリップも1851年のロンドン万博に参加している。その際に出品した淡いブルーの七宝仕上げを施したペンダントウォッチを、英国女王ヴィクトリアが気に入ってそのまま購入しただけでなく、夫であるアルバート公のための時計も発注した。それが王侯貴族の間で話題となり、パテック フィリップの人気は確実となった。
1932年、スターン家が経営に参画。
ジュネーブの高級文字盤会社を経営していたシャルルとジャンのスターン兄弟が、1932年にパテック フィリップを買収。1958年にシャルルの息子アンリ・スターンが社長となり、世界戦略を推進していく。1993年にはアンリの息子フィリップが社長に。そして現在はフィリップの息子ティエリーが重責を担う。巨大資本によるコングロマリット化が進行する時計業界だが、パテック フィリップは頑なに家族経営を守り抜いているのだ。
1927~33年。世紀の超複雑時計。
パテック フィリップに特別な時計を注文した時計愛好家は少なくないが、その双璧が自動車王ジェームス・ウォード・パッカードと銀行家ヘンリー・グレーブス・ジュニアだ。パッカードは10の複雑機構を搭載し、両面に天文表示機能をもった懐中時計をオーダー(完成は1927年)。一方のグレーブスは“世界で最も複雑なタイムピース”を発注。1933年に完成した時計には、24の複雑機構が収まっていた。どちらも時計界の至宝だ。
1996年、新社屋完成
ジュネーブの各所にあった工房を集約させる形で、ジュネーブの郊外にあるプラン・レ・ワットに巨大な本社工場が完成。ガラス張りの近代的な建物だが、自然光が差し込むように設計されており、時計師たちが快適に作業できるように計算されている。ここでは研究開発やデザインから、パーツの製造、そして組み立てやクオリティコントロールなどが行われる。しかも敷地内には、歴史的重要建造物に指定されたシャトー・ブランもある。